作詞家の松本隆さん(尊敬する細野晴臣の盟友)がこんなことをツイートしてた。
『布は縦糸と横糸がきっちり編みこまれてると破れにくい』
ふぅん。なるほどね。
まぁ強く強く編みこまれて強靭になった布でなにをどうしようってのかは
また別の話なんだろうけど。
そういえば田口ランディの旧ブロク(現在リンク切れ)で社会を布に例えて
こんなことを言っていた。
Q「あのさ、いじめって何だと思う?」 A「いじめ?」
Q「そう、いじめ」 A「そうやなあ、いじめってのは皴(しわ)だな」
Q「皴?」 A「そう。関係の皴」
Q「どういうこと?」 A「つまりな、人間関係ってのは、みんなでデカいシ-ツの端っこを持って歩いているようなもんなんや。だけどときどき、そのシ-ツに皴が寄ってしまうんよ。その皴の寄ったところを持っている奴が、いじめられるねん」
Q「シ-ツはいつもピンと張ってなきゃいけないわけね?」 A「そうそう。だからみんな突っ張って力を入れてシ-ツを持つんよ。だけど、あんまり 力を入れ過ぎると、自分がシ-ツを引っ張りすぎてみんなの手が離れてしまう。ダレていると皴が寄ってたるんでしまう。そやけど、シ-ツを持って歩くという のはすごく難しいさかい、どこかに皴は寄るもんなんよ。でな、当然のことながら、力の弱い奴のところに皴は寄りがちやねん」
Q「でもさ、なんでみんなシ-ツなんか持って歩いてるの?」 A「知らん。誰かが教えたんやろ、これ持って歩きなさいって」
Q「シ-ツなんか持ってたら歩きにくいじゃん」 A「そうや、おっしゃる通り。けど、持ってると楽やねん」
Q「なんで?」 A「持ってる方がかたまりやすいやろ?だからみんなシ-ツに寄ってくるんよ。もう入る余地がないほど人が群がってるシ-ツに、無理やりねじ入って、片手でもいいからシ-ツを掴んでいたいって思うんよ」
Q「なんか、うっとおしい」 A「ほんまにうっとおしい。うっとおしいから、シ-ツを切り裂きたくなる奴も出てくる」
Q「それが犯罪者になると?」 A「そうは断言できんけどな」
(いじめってなんだろう?:田口ランディのコラムマガジンより抜粋)
ふははは。
なんでか知らんけどシーツの端っこ握り締めて歩いてる人の群れ想像したら笑える。
んで、シーツ掴む力の弱いヤツのところにシワが寄ってみんなからジト目で睨まれるわけだ。
なるほどねぇー。
ワタシなんぞは、掴む力が弱くてシワが寄ってそれで睨まれるんならさっさと
そんなシーツなんか放り出してしまえばいいのに、なんて思うんだが、弱いからこそ
シーツの端っこ必死で掴んでいるんだろうし、 それができりゃ苦労はしねーよバーカ!
ってことなんでしょう。
そのシーツが縦糸、横糸ともに弱くなってもろくなって、ある日びりっと裂けてしまったら。
その切れっ端握ったまま茫然としちゃうんだろうなぁw
別なところは他の誰かが掴んでてそれを押しのけて自分で掴めるぐらいなら苦労は(以下略
あぁ面倒くせぇ(笑
シーツから手を離すこともできない、他の人の掴んでるシーツの端を横取りすることもムリ
今の社会がそういう「いわゆる弱者」に優しいのか厳しいのかよくわかりませんが
弱者を弱者のまま放置することが冷酷であるとすれば
弱者が弱者のままでいようとすることも傲慢であるとワタシは考えます。
そもそも。
「弱者」ってなんやねん。
弱いことは甘えじゃないけど。
弱さに甘えることは立派な甘えじゃね?
地雷原の向こうにどこかに通じる扉があるのなら、それがもし新たな地雷原へ通じる
扉であるかもしれないにせよ。
行きますか?
行きませんか?
答えはいつでもシンプルで、残酷で、希望に満ちているもの。
恐怖と迷いと不安と希望でうずくまって空を見上げることもあるだろうが。
誰かに手を引いてもらう、という選択肢は少なくとも持ってないな、うん。
シーツの端っこなんか誰が掴むかよ(笑
むしろ俺がシーツになってやらぁ(意味不明
nobさんありがとうございます。
返信削除またタイムラグかしら(汗
わたしにわかりやすい言葉で書いてくださってありがとうです。
そうですね。
弱者という言葉については、だいたいnobさんと同じ考えかと思います。
基本的には人は強くもないしそんなに弱くもないと思っているからです。
強味と弱味はあるような気がします。
その人にはたくさんの素敵なものが眠っているだけで表面に現れていないだけですもの。
nobさん・・・シーツになっちゃうんですか!
つかまっている人より、ひっぱらるシーツは大変ですよ(汗
私だったらいちはやくシーツから手をはなすと思います~。
そして、いじめについてならたくさん語れるんですよ!
いじめられた経験ならたくさんあるんです!
自慢(汗
それもどうかと思います。
それにどれくらい早く気づいてそれを次に活かせるかなのかなと最近は感じています。
あと、いじめられた・・・と言ってしまうと、被害者的になるのでいじめられたとは最近は使いません。
いじめられたのであれば、いったいいじめさせた私の行動には何か原因があったのだろう。
その言葉を相手に言わせるような状況にしてしまったのかもしれないとまず私自身を振り返るようにしています。
最近感じているのは、いじめる側いじめられる側両方に課題があるのであって、どちらかだけの問題ではないということなのだと感じます。
地雷原に行くのは・・・怖いです。
しかし・・・気づかないうちに地雷を踏んでしまうことは多々・・・なので気をつけるようにします。
すみません(汗
えっとまた自分のコメントを訂正。
返信削除誤字脱字ばかりですね(汗
つかまっている人より、ひっぱられるシーツは大変だと思います(汗
もしシーツが大変そうなら、いちはやくシーツから手をはなします。
そのシーツを必要としているひともたくさんいると思うんです。
私がほかのシーツをつかむことができたり、ほかのシーツをさがせるならそちらをつかむことを選ぶと思いますよ。
masiroさん
返信削除あ、マジで来たんだ(笑
面白いなぁ…本当に面白い。
いじめもいじめられも経験はないんですけど(あ、闘争ならあるなw)ひとつだけ中学校のときの話を。
クラスにタジマくんという男がいて、こいつがなんていうの?ちょっとアタマの中暖かい系?
勉強できない運動できない機転利かない、そういう男子で。
いまならまっさきにいじめの対象になりそうなヤツですよね。
ワタシらこいつを徹底的にイジったんですwネタにしていじり倒したわけ。
先生に当てられる、もちろん答えられない
我々「たぁ~じぃ~まぁ~!」
体育の時間、みんなできることがコイツだけできない
我々「たぁ~じぃ~まぁ~!!」
クラスでのイベント、当然のことながらコイツまったくの役立たず。
我々「たぁーじぃーまぁぁあぁぁぁー!!」
でもみんな笑ってた、担任も笑ってた、本人も笑ってた。
卒業式のときにクラスで最後に一言ってのがあって、コイツ言ったんです。
「みんなから「たじまー!」って言われるの、本当に嬉しかった」って泣いてやがんの。ホントこいつバカ。どうしようもない。
いじめってね、ワタシ思うに抑圧だと。
言いたいこと言えないやりたいこと出来ない、そのはけ口が自分よりさらに弱いものに向うんです。
その抑圧を形成ってるものは何だと思います?
シーツなんですよ、シーツの端っこを握ってピンと張ってなきゃいけない、っていうおかしな強迫観念が抑圧なんです。
アホらしいでしょ。アホらしいんです。
「たじまーーー!!」って叫ぶことで我々はその抑圧から解放されてたんです。
批難じゃなくて笑いでそれをやることで我々は罪からも解放されてたんです。
礼を言わなきゃならないのは我々のほうだったね、タジマくん。
今どこでなにをしてんのかなぁ。
うんうん。
返信削除シーツをピンと張ってなきゃいけないってそういう空気が伝わるのでしょうね。
どうしてみんながシーツをがんばってつかんでいるのか・・・私もなんとなくわかるんですよ。
きっとその人たちには、今そのシーツが必要なのかもですね。
いつかシーツから自然にてがはなれることもあるのかなとも感じます。
わたしは、みんなが笑顔になるなら、喜んでシーツをはなしちゃいます(笑
というかつかんでいるの大変じゃないですか!?
みんな逆にえらいかも!
ちなみに、たじま君の名前・・・私の旧姓にそっくりなんです~(笑)
たじま君元気かな?
masiroさん
返信削除つーか。
同じシーツを掴んでないからいじめられるんじゃないですか?
いじめなんて最初から意に介してないなら掴もうが掴むまいがどっちでもいいですが、いじめがつらいと言いながらシーツは掴まなくてもいい、なんていうのはようするにmasiroさんまるっきり「システムを理解してない」ってことですよ(笑
ルール無用の天然さんってフリーダムすぎて嫌われませんか?特に女の人たちの間じゃそれ致命傷と違いますか?
何度も言うように、ソレをやるには「覚悟」っていうパスポートが必要なんですよ。それもまたルールなんです(笑
よーく考えたほうがいいですね。
まぁ考えてどうにかなるものかどうかは知りませんが。
nobさん
返信削除ありがとうございます。
旧姓のときは、本当に天然でしたね。
ブログだとなおさらそうみえるのでしょうね。
会社ではそれなりに、みんなの話を聴いてからうここたえするように心がけております。
そのギャップからみなさんを混乱させて申し訳ありませんでした。
nobさんデトックスさせてくれてありがとうございました。
エーーーみんなで渡れば怖くないのシーツ版でしょうか。
返信削除みんなで同じ物掴めば安心って事ですね。
つまりみんなで同じ空気吸ってたら、同じ物食べてたら汚染も怖くないって事に繋がるっていうのは考えすぎ?
「なんでシーツを持って歩くの?」の質問に「知らん」はないだろう。
そうやって、答えに詰まると「知らん」で逃げる人って多いよねえ。
そんな大勢が共有するシーツなんかいらないね。みんなで持とうとするから汚れても誰かが洗ってくれるでしょ?になるんだって思う。
そんなに持ちたいなら、同じ汚れるなら、自分だけのシーツがいいわさ。
タジマ君へのいじめは、陰湿ないじめと違うから、きっと彼もいじめと感じずに楽しい思い出になったんでしょうね。
まあ、加害者がいじめだって意識してるならいじめかもしれませんが..。
今は加害者がいじめだろう?って言われるとシラ~ッと善人ぶって否定するからね。
いじめる奴がいじめって認める勇気もない訳です。情けないったらありゃしない!
Ciao nobさん
返信削除わはははは、みんなで必死にシーツの端つかんで
皺が寄らないように、足並み揃えて、汗をかきかき
そっちに気を取られてるから、周りの景色を見る余裕もない....
馬鹿馬鹿しくて やってられるかいーー!!
こういうの見たら 私、そのピンと張ってるシーツのど真ん中にダイブします わははは
やらなかった??
子供の頃、母がおばとシーツをぴんと張ってたたんでる
そのど真ん中にねダイブする
楽しいよ――
私の思い出は、田中策蔵君
お母さんがいなくて、貧乏で、中学校はシャツは白じゃないといけないんだけど、彼はいつもカラーシャツ
策蔵ー―カラーシャツいけね―んだゾ――
シャツが汚れてて、ただグレイになってるだけなんです ははは
策蔵君は絵の具が買えないんで、美術の時間はいつもひっそり私の横に座ります
私がなんにも言わないで絵具を彼の方に寄せて置くのを知っているから
そういうときだけ、みんなはなにも言いませんでした
あのころのいじめには、やっぱり何だか友情が通ってた気がします
クラス会とかって興味ないんだけどね
策蔵君には会いたいなあと思います 笑
masiroさん
返信削除いやデトックスしたの俺のほうだから(爆
kanafrさん
返信削除モノゴトには様式美というものは確かに存在するのです。
蚊取り線香はブタの中で燻ぶるべきものだし、頭の上に落ちてくるのはタライでなくてはイカンのです。
「なんでブタ?」とか「なんでタライ?」などと聞くのはもののあはれを解せぬ夷どもなのです(笑
しかし、こういう理をもって説かねばならんことまで空気に混ぜてうやむやにするのは我々日本人の悪いクセですね。
システムに依存し、システムの持つ自明性に依存し自己の判断を放り出した人にはもはや己の行動すらも誰かに頼らねば説明不能なのでしょう。やれやれ。
タジマくんのことも同じだと思います。
まぁ当時は正直そんなこと考えてませんでしたが(笑
彼を「かわいそう」と思うことで彼の失敗や弱点にみんなが目をつぶることこそ彼に対するスポイルに他なりません。
そしてクラスの中で言葉狩りを行って相互監視を行うという抑圧に「正しいこと、美しいこと」というお墨付きが与えられれば、その抑圧に耐えられないものは歪むのです。
そしてその歪みはその人の中で罪と認定されます。その憎しみはどこに向います?考えるまでもない。
ワタシが「正しい」ものを嫌うのはそんな理由です。
だから笑え。正しいものも正しくないものもみんなまとめて笑ってやれ!
そう思います。
junkoさん
返信削除「俺もバカだけどオマエも大概だなぁ、このバカやろう」
これがワタシが誰かをバカよばわりするときの基本スタンスです(笑
そうは見えないかもしれませんがw
人のバカ見て我がバカ絶好調。直らないから直しません。
だから高いところから人を見て蔑むヤツを見ると、自分のとこまで引きずり降ろしてやりたくなります、っていうかやります。どんな手を使っても(笑
んで、それからみんなでお互いに指差して「バーーーカww」って笑い合いたい。
そういう風通しのいいバカっぷりが普通にできてたころが、今すごく懐かしくて遠い目をしてます。
見えないかもしれませんが。
策蔵くんはきっと元気です。